現在まだバタバタしているので、A子さんの文面だけ掲載します。

今回から、結婚してからの内容になります。

よろしくお願いします。



私とT也は会食会の席で双方の親から婚姻届けに署名捺印を貰っていたので、その婚姻届けの用紙を12月24日にアパートの有る市の市役所に2人で提出する事に決めていました。

当日、市役所に行くと、T也の家族(両親、妹、祖母)が市役所の駐車場に置いてある車から出て来たので、私は驚き、何故いるのかT也に聞くと首を傾げるだけで話したがりませんでしたが、驚く様子も無くT也とその母親の「何時頃ついた?」「さっき着いたばかりだ」等の話しを聞き事前に約束していた事が分かりました。

T也の家族は婚姻届けを出す窓口まで一緒に入って来ましたが書類に不備があったので、その日婚姻届けは受理されませんでした。

T也の母親は婚姻届けが受理されない事が分かると、「わざわざ高速代をかけて来たのに無駄足になった。」「何しに来たか分からない」「A子ちゃんの親はこんな常識も教えないのか?」と、とても不機嫌で露骨に文句を言っていました。

その後、T也の家族はアパートに来ましたが、直ぐ家族で食事に出かけて行くと、T也の携帯電話が鳴り、T也は「食事に呼ばれたから行って来る」と言い一人で出掛けて行ってしまいました。

市役所で母親と仲良く話すT也の姿や、食事に呼ばれ急いで出掛けて行くT也の姿はこれまで何度も聞いていた「家族とはうまくいっていない。」「親だとも思っていない」「親とは殆ど話しをしない」と言っていた言葉とは全く反対の態度でした。

一人部屋に残った私は、T也の母親は私の事を怒っているので、T也の事だけ食事に呼んだのだと思いましたが、それでも私も一緒に食事がしたかった訳では有りませんが、母親に呼ばれ一人で出て行ったT也の無神経さや、T也は「2人で婚姻届けを出しに行く」と言っていたにも関わらず、私の知らない間に家族と連絡を取りT也の家族全員が来た事や、事前に何も話してくれないT也に腹が立ちました。

T也達は食事から帰って来ると、T也の母親は唐突に「次の私の仕事の休み(T也の母親)は元旦だから、その日に婚姻届を○○町(T也の実家のある町)の役場に出すことに決めたから」と言い出し、食事をしながらT也と家族で決めたと言い、年末年始は私もT也の家に泊まる事が決められていました。

T也の父親は「元旦に入籍すれば、結婚記念日忘れなくていい」等と言っていましたが、もう、決まった事で、私が口を出せる様な雰囲気では有りませんでした。

T也の家族が帰った後、私は自分の中の不満をT也に話しました。
婚姻届けは2人で提出する事に決めていた事を話すと、「親との話の流れで一緒に行く事に決まった。それの何が悪い」と開き直り、「家族が婚姻届けを提出するのに同席するのであれば、前もって教えて欲しいと」言うと、「何で言う必要がある」と言われました。

そして、遠くから来たT也の家族は「優しい」と言い、来ない私の家族を「非常識だ」と言っていました。

「自分の親が来ないから、ひがんでいる」「人の親の事をグダグダ言うな」と怒りだす始末でした。

改めて婚姻届けを出す日も、2人で決めたかったと言うと、「お母の休みに合わせるのが1番いい」と言い「もう決めた事だから」と言って聞き入れてもらえず、私は何故T也の母親の都合に合わせて入籍の日を決めなければいけないのか?T也の母親の介入が不満だったので、自分の気持ちを必死にT也に伝えましたがT也は理解するどころか、機嫌が悪くなり、大声で「お母の事を悪く言うな」と怒鳴られたのでそれ以上は話せませんでした。

年が明けて元旦、役場に行く準備をしていると、T也の母親から早くするように催促され、車に行くと、運転席にT也が座っていたので、私は助手席に座ろうとすると、「お母が座るから後ろに乗って。」と言われ、「お母さんが助手席?」「また付いてくるの?」と思いましたが、近くにT也の母親もいたのでそんな事も言えず、私は後ろの席に座り3人で役場に向かいました。

書類は宿直の人に預けて来ました。

その場でT也の母親から「今日の夕飯はA子ちゃんが作ってね」と言われ、私は驚いてしまいました。

なぜなら、私の実家では元旦はおせち料理や、お正月のお料理などを食べていたので、そのような料理を作らなくてはいけないと思い、私はT也の母親に「難しい料理は作れない」と話すと、「何でも良いから作れる物を作って」と言われたので、空いているスーパーを探し、ハンバーグの食材を買い、T也の実家に帰りました。

台所は料理を作れる様な状態では無かったので、私は一人で時間をかけ台所の掃除をしてから夕食を作りましたが、パン粉を使おうとすると、袋の中は無数の虫の死骸とパン粉が小さな塊になって使える状態ではなかったので、茶の間にT也を呼びに行くとT也と母親が台所に見に来ました。

それを見た母親は「これ位で何騒いでいるの」と言っていました。

T也の母親は冷蔵庫から取り寄せのスイ―ツを取り出すと「あーん」と言ってT也の口に運んで食べさせ、T也も口を空いて運んでもらうのを待っている姿を見て私は自分の目を疑ってしまいました。

私がいる事など関係ないように、T也の母親はT也の口に食べ物を運んでいましたが、私は2人に背中を向け、意識して料理を作る事に集中するようにしました。

少しするとT也の母親の「キャッキャッ」と言うカン高い笑い声と、T也の笑いながら「やめろ」と言う声がしたので後ろを見ると、母親がT也の足に、自分の足を絡め、それをT也が外そうとして、足相撲をしている用な格好でじゃれ合っていました。

T也の母親がバランスを崩して転ぶと、母親はT也に向かって両手を差し出し「起こして」と言い、T也は両手で母親の手を引きあげ起こすと、T也の母親はそのままT也の胸に抱きつきました。

直ぐ離れましたが、私は2人の姿を見てあっけに取られてしまい本当に驚いてしまい何も言えませんでした。

その後、T也と母親はスイ―ツを持って茶の間に行きましたが、私はT也と母親の姿が頭から離れず、今見たT也と母親の姿に混乱していました。

T也に話しを聞きたいと思いましたが、その日、T也と母親は遅くまでお酒を飲み、2人で茶の間のこたつで寝ってしまったので何も話せませんでした。

翌日、2人で初売りに出かけ、そこで話しをしようと思いましたがT也が母親を誘い3人で出かけたのでその時も何も話せませんでした。

その日、デパートでアイスクリーム屋さんに入った時、T也は私に「食べる?」と聞いて来たので、私が頷くと、T也は2つアイスクリームを買って来ました。

単純に私とT也の分だと思いましたが、1つを私に渡し、残りのアイスをまるで恋人同士の様にT也と母親で交互に舐めていたので、私は2人のそんな姿が嫌だったので「これ食べていいよ」と自分のアイスクリームをT也に差し出すと、T也の母に「余計な事しなくて良いから」と言われてしまいました。

口に物を運ぶ姿やじゃれ合っているT也と母親の姿、2人で仲良く1つのアイスクリームを食べている姿は、仲が良いというものでは無く異様な感じがしました。

私がT也の家に泊まっていた間、私が話し掛けてもT也の妹は完全に無視で、一言も口を聞く事は有りませんでしたし、母親とも必用最低限の会話しか無く、祖母も父親もT也も母親がいる時は話し掛けて来ることも少なく、T也と両親、妹の4人だけで出かけたり、T也は母親と居る時間を優先していたので私がT也の家族と過ごしたのは3日間ですが、自分が「浮いている」「孤立している」と感じ、いたたまれなくなる事が何度も有りました。

T也が両親、妹と買い物に出かけた時、私は祖母と2人きりだったので、また、色々な話しを聞きました。

その中でT也の母親がT也の伯父さん(母親の弟)の奥さんに嫌がらせや、意地悪をして「いびり出した」と言い、離婚に至った事を聞き、「お母さんはおっかない(怖い)女だからな。A子ちゃんも気を付けろよ」と言われ、これまでのT也の母親の言動を考えるとその言葉にとても重みを感じました。

私はこれまでT也から聞いていた家族に対しての言葉と行動の矛盾を祖母に聞くと「余計な事を言うと怒られるから何も言えない」と言葉を濁し話してくれませんでした。

私は友人の中で1番初めに結婚したので、婚約や結婚のしきたり等何も分からなかったことと、私の両親もT也が両親から冷遇されて育った事や、T也に無関心だと聞いていたので、結婚に関しても無関心なのだろうと思って居ましたが、最近、友人達が次々と結婚する時に、結納や結婚指輪、相手側の両親が挨拶に来た事や、嫁ぎ先の御近所に姑と一緒に挨拶周り(顔見せ)をした事、入籍をした日、嫁ぎ先でお赤飯でお祝いをしてくれた事を聞き、その様な事が一切なかった私は、自分があまりにも友達と違う事に、初めから受け入れられていなかったことを痛感しました。


お正月休みを地元で過ごし、アパートに帰る車の中で私はT也の家で感じたT也と母親の関係に対しての正直な気持ちを話ました。

T也は「冗談でやった事だ」と言っていましたが、その言葉を私が聞き入れないと、T也は「お母の言う通りにしないと、後で面倒くさくなるから、仕方無く言う事を聞いているだけだ。」と言っていましたが、私には全然そのようには見えなかったので「冗談でも普通はやらない」「T也の言っている事は信じられない」と言うと、「人をそうやって直ぐ疑うA子は根性が腐っている」と言われ、「冗談を間に受けるA子が悪い」と怒りだし、険悪な雰囲気になったので、私は不愉快になり助手席の窓から外を見てT也と口を聞きませんでした。

少しするとT也はブツブツ「お母が何で急に話し掛けてくるようになったのか分からない」「お母が何を考えているのか分からない」などと言っていましたが、T也の嫌がる素振りのない姿を見ている私には、苦しい言い訳にしか聞こえず、聞く気にもなれませんでした。

長い時間口を聞きませんでしたが、道路はUターンラッシュで渋滞になりノロノロ運転になると、T也はいきなり私の腕を引っ張り自分の方へ引き寄せました。

私はT也の方を向くと、下半身を出しているのが眼に入ったので驚き、私はT也の事を怒りました。するとT也は左手で私の髪の毛をわしずかみにして頭をT也の陰部に持って行こうとしました。

私は力を入れT也から少しでも離れようとしましたがT也も髪の毛を思いっきり引っ張るので、「痛いから止めて」と大声で叫び頭を戻そうとしましたがそれでもT也は何度も髪の毛を引っ張り陰部へ近付けようとしました。車が進み出すとT也は私の髪の毛を放したのでT也に自分の姿を見られるのも、T也を見るのも嫌だったので、私は急いでシートベルトを外し後部座席の運転席の後ろに移動し膝を抱え、顔を伏せて座りました。

T也は運転しながら何度も隣に来るように言っていましたが、それが何を意味するのか分かっていたのでT也の事をずっと無視していました。

するとT也は「これ、どうすればいいの」と言って来ましたがそれでも私が無視をしていると、「自分でやるよ」と言い、その後、走った後のような荒い息使いが聞こえて来ました。

私はT也の声を聞くのも嫌気がさし耐えられないのでずっと耳を塞いでいましたが、それでも聞こえるようなうめき声を上げ、その後「だめだ〜」と言い静かになりました。

その後、私に拭くように言って来ましたが、無視をしているとブツブツ文句を言っていましたが自分で拭いていました

私は、この時初めてマスターベーションをしている人を見た(聞いた)ので気持ちが悪く、狭い車の中の空気も汚く感じそこに居る事も苦痛でした。


アパートに着くとT也は先に部屋に入りましたが、私はT也と居るのが嫌だったので車から降りないでいるとT也は戻って来て私の腕を掴んでアパートの部屋に引きずって行きました。

リビングに連れて行かれ乱暴に床に転ばされ、起きあがる間も無く私の上に座り、ポケットに隠し持っていた手錠を両手にはめられ暴行を受けました。私は、手錠をはめられるまでは、両手を動かし必死で抵抗しますが、手錠をはめられた後は、どんなに抵抗しても力づくで暴行されてしまいます。

手錠を使って暴行を受けたのは、この時が初めてでは有りません。

ガムテープを使って暴行を受けたのは3〜4回ですが、そのガムテープはT也の勤める工場で梱包に使っていた物を無断で持ち帰って来た事が分かったので、私は「これ以上同じ事を繰り返すのであれば、同じアパートに住む工場長に話しをする。」と言ってから、ガムテープを使っての暴行は無くなりました。

しかし、その後から手錠を使って暴行を受けるようになりました。

T也と結婚の話しをする時、手錠やガムテープを使っての性的暴行、暴力的な性交渉、強引な性的強要がどれだけ酷い事か話し、T也も絶対にしない事を約束したので、その言葉を信じ、T也から性的暴行を受ける事はもうないと思い、私はそれまでの事を1度リセットして新たな気持ちでやって行こうと思い入籍をしたので、T也が約束を破り手錠を使って性的暴行を加えた事、車での出来事にショックを受けたのと、これまでT也から聞かされていた家族との関係とは真逆のT也と母親の姿や、母親の言いなりのT也と一緒にやっていけるのか?これまでT也から聞いてきたT也の家族の事が、何が嘘で何が本当なのか分からなくなり、どうしていいのか分からなくなってしまいました。

私はT也に対する不信感ばかりが募り、またいつ手錠を使って暴行されるか分からない恐怖で、気分が落ち込むことが多くなったり、T也も夜遅くまでH男と遊びに出掛けたり、アパートに居る時は携帯をいじるか、ヘッドホンをしてギターを弾いているかで、食事の時も携帯電話で母親と話しながら食べているので、楽しいとか和やかといった新婚生活では有りませんでした。


私はT也とのスペースがほしかったので、姉が出産する為、母が4週間手伝いに行く事になっていたので一緒に行く事にしました。(姉は海外に住んでいます。)

姉の家に着いて、時差ボケや、疲れとだるさで体調が良くありませんでした。

1週間経っても気持が悪く、食欲が無く、食べても吐いてしまう事が続いたので、市販の薬を飲み、様子を見ましたが良くならなかったので、姉が病院に電話をして症状を話すと、妊娠をしていないか聞かれたので、直ぐ市販の検査薬で調べ、妊娠している事が分かりました。

自分でも妊娠など考えてもいなかったので正直驚きました。
自分のお腹の中に小さな命が宿っていていると思うと、不思議な感覚がありましたが、子供が出来たことでT也も変わり、落ち着いた生活が出来ると思いました。

私はT也に妊娠の事を知らせる為、何度も電話をしましたが、通じないので日本の時間に合わせ夜や土・日の仕事の休みの日に電話をかけ続け、やっと電話が繋がり、私は妊娠している事を伝えました。

T也の反応は私が思っていたのと違い「ふーん」と言うだけで喜ぶ様子はありませんでした。

T也の様子がよそよそしい事と、後ろで女性の声が聞こえたので何処にいるのか聞くと、のらりくらりと話を逸らしていましたが、最後にはH男と女性と泊まりでスノボーに来ている事を白状しました。

私はこの時、T也は浮気をしていると思いました。

その後、T也から電話があり「一緒に居た女はH男の彼女だ」「急に付いて行くと言い出したから仕方なく連れて行った」「H男の彼女が来て、自分もビックリした」と苦しい言い訳をしていましたが、私は近くに居ないのでその時の状況も分からない事と、証拠もないのでT也を責める事は出来ませんでした。

妊娠を知った母から「お腹の赤ちゃんは母親の感情や声を感じとる事が出来るので充分な栄養を取って穏やかな気持ちで生活するように」と胎教を教えられたので、泣いたり、怒ったり、言い争う事は止め、お腹の赤ちゃんの事を1番に考え、T也が女性と泊まりでスノボーに行った事で揉める事は止めようと思いました。

日本に帰ったその日の夜、T也はスノボーに行った事の言い訳をしていたので「疑われる様な事はしないで」と話し、それ以上の事は言いませんでした。

この時、私は、子供が出来たのでT也の母親の事も含めT也には家長、父親としての自覚を持ってほしいと言う事と、自己中心な生活は改める事と性的暴行を絶対しないように話しました。

T也は「分かった」と言い、妊娠の事を話した時とは別人の様に子供が出来た事を喜んでいました。そして「子供が産まれたらロックなんてやってられないから、産まれるまではやらせて欲しい」と言うので、家事を分担し、空いている時間の中でする事を承諾しました。


しかし、話し合った翌日。

T也が「起きて」と言いながら私の手を引っ張り私は体を起こされました。頭がボーっとして座ったままでいると、T也が私の腿の真ん中の辺りにまたがって来たので、慌ててT也の胸の辺りを手で押しました。しかし、T也は、スエットのパジャマのポケットから手錠を出し、私の片手に手錠をはめ、後ろに回すと、その後、もう片方の手を背中にまわされ腰の辺りで手錠をはめられました。私は、ずっと「止めて!」「離して!」と抵抗しましたが、無駄でした。

私は、腰の辺りと肩から腕の辺りがとても痛かったので「痛いから止めて!」と何度も言いましたT也から体を押し倒されパジャマと下着を乱暴に脱がされ手錠をかけたまま強姦されました。私は、強姦されている間、特に手錠が腰に当たり、「痛い!痛い!痛い!」と何度も言いました。

しかし、逆にT也から「静かに!」と怒られ、手錠を外してもらえませんでした。

T也は行為が終わると真っ先に自分の下着を履き、私の体を起こし後ろに回り手錠を外しました。私は、肩から腕にかけての部分と腰がとても痛かったで、しばらく布団の上に座っていました。

T也は、リビングでギターを弾いていました。

私がシャワーを浴び、部屋に戻ると、T也は何事も無かったかのようにまだギターを弾いいたので私は怒りが収まらなかったので、「お腹に赤ちゃんがいるのが分からないの! 性的に病気だよ! 私の事、何だと思っているの!やらせる家政婦じゃない!」と泣きながら言いました。

T也は、私のことをバカにしながら「はい はい。」とだけ言い真剣に聞いていませんでした。

私は「もう、無理だから親に話す。」と言うと、被告はギターを弾くのを止め、もの凄くキツイ目で私を睨みつけ「言いたければ言えば!その代わりどうなっても知らないからな!」と脅迫してきました。

私はT也の言った「どうなっても知らないからな!」と言う言葉を聞き、もっと酷い事をされるのではないか?と恐怖を感じました。

胎教の為に穏やかな気持ちでいたいと思っていても、T也から受ける性的暴行は一瞬で私の心を乱してしまいます。

お腹に赤ちゃんがいるのに何故?何を考えているの?
子供の事を考えれば考える程、T也の行為が腹正しく、怒りや悲しみや情けない気持ちで、自分の感情を抑えるのが難しい程、気持がぐちゃぐちゃになって行きました。

T也は自分の性欲を満たす為であれば、私がキッチンで食事の用意をしていると時、後片づけをしている時、ベランダで洗濯物を干している時、お風呂に入っている時、仕事から帰って来た時、・・・場所や、時間など関係有りませんでした。


T也は当時、リーマンショックの影響で仕事が不況になり1日4〜5時間しか働かず、自由な時間が多くあったので、私に対して、朝・夕方・夜・夜中・場所や時間に関係無く、性的行為を強要しました。

しかも、殆ど毎日、性的行為を強要され、気持ちの付いて行かない性交渉は嫌で嫌で仕方がありませんでした。
T也は、いつも強引だったので、私が嫌がると、私の手を引っ張って布団まで連れて行かれることが頻繁にありました。

私は、よく座り込んで抵抗したので、そのままの体勢で手首を引っ張られて寝室に連れて行かれたり、掴まれないように手を振り払ったり、掴まれた手を離そうと引っ張り合いになったりしました。

毎日、同じような事が繰り返されていたので、右肩に、違和感を感じるようになりました。
その後、肩の付け根が苦しくなり、腕を自分で動かしてカクンとはめると楽になるので、そのような動作を繰り返していました。

次第に右肩に常に痛みを感じるようになり、その痛みが強くなって肩を床につけて寝ることが出来ないぐらい酷くなり、寝ていても痛みで目が覚める程酷くなりました。

しかし、T也は、私の右肩の症状をいたわることは全くなく性的暴行を繰り返し「肩が痛くて寝むれないなら後ろを向け!」と言い、後ろから性的暴行されたことも何度もありました。

それまで私はT也から暴行を受ける時、手足が自由な時は、ばたつかせたり、体をねじるなどして抵抗しましたが、妊娠してから同じ様に抵抗すると下腹部が張り、痛くなり、さらにそこにT也から乱暴に性交渉を受けるので、乱暴された後は体を丸めてお腹の張りと痛みが治まるのを待たなければいけませんでした。

少しでもお腹に負担をかけない為に抵抗する事を止め、早く終わるのをじっと待つしか有りませんでした。

T也に「男はみんな同じだ」「皆もっと凄い事をしている」と言われても、私はT也しか知らないので比較出来ませんでした。

私の中ではT也は性的に異常だと思ったので、病院に行くように勧めたり、一緒に行こうと促したりしましたが「自分は普通だ」と言い、聞いて貰えませんでした。

暴力的な性行為や手錠を掛けられて暴行を受ける時、私は、泣きながら抵抗すると、T也は「もっと泣け」「許して下さいと言え」「○○して下さいと言え」と言ったり、私の胸の上に座り自分の陰部を「みろ」と何度も言ってきました。

私がどんなことを言われても目と口を強く閉じ、T也の言う事を利かないとT也は首や顔に精液をかけるなどの屈辱的な行為をしてきました。

以前にT也の母親から私が一緒に住めばT也が風俗に行かなくて済むと言われた事も「しこり」としてあったので、「これ以上我慢は出来ないので異常な事をしたいのであれば風俗に行ってすれば!」と言うとT也は「プレーでするのは楽しくない。」「A子が泣けば泣く程燃える」「必死に抵抗するA子を見ると我慢できない」と言われ、T也の言葉を聞き、私が本気で泣きながら抵抗する事をT也は喜んでいたのだと思い、ゾッとしました。

T也の性癖を私はどうしても理解する事が出来ませんでした。

結局、妊娠中でもT也の性的暴行は収まる事も家庭を顧みる事も家事を手伝う事もありませんでした。



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