ちょっと、調査でバタバタしているので、すぐに本文行きます。

すみません・・・

被告と記載されている部分がありますが、被告=T也 です。

宜しくお願いします。


「DV被害の告白、6」行きます。


「DV被害の告白」をはじめから読む。


※メディア関係の方で、この内容が気になりましたら、ご家族をご紹介します。(ご家族の許可を得てからになります。)

『メールはこちらから』




※この件に対する誹謗中傷は、申し訳ないですが遠慮なく削除します。

また、コメントを一時預かりにし、確認後公開する事もあります。


1、「DV被害の訴え」

2、「DV被害の訴え」

3、「DV被害の訴え」

4、「DV被害の訴え」

5、「DV被害の訴え」

6、「DV被害の訴え」

7、「DV被害の訴え」


よろしくお願いします。


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『トラン探偵事務所』

T也が引っ越しをした日の夜「新しくて綺麗なアパートだよ」と言う短いメールと部屋の写メが送られて来ました。

両親が一緒だった事もあり、その後は電話もメールも来る事はありませんでした。

3日後のお昼過ぎ、T也からの電話に出ると、様子がおかしく、言葉に詰まり中々話をしません。
何かあったのかと思い「大丈夫」と何度も聞くと
「今・・・親が・・・・帰って・・・しまった・・・・・本当に・・・一人に・なっ・て・・・し・ま・っ・た・・・。」と嗚咽で言葉にならない状態でした。
その言葉を聞いて、正直「えっ?そんなことで泣くの?」と言う気持ちと「だから?」と言う気持ちでT也に掛ける言葉が見つかりませんでした。
T也は、ひとしきり泣いた後、何もする気になれないから寝ると言い一方的に電話を切りました。

夜、携帯を見るとT也から何件も不在着信とメールが入っていました。
T也からの電話に出ると
「何で直ぐ出ないの?」と怒っていましたが、
「部屋に一人ぼっちだ」「外は暗くてどうしていいか分からない」
「淋しすぎて、部屋から動けない」と泣き事を言っていました。

私は明日から仕事だから早く寝るように言い電話を切ろうとすると
「お願いだから切らないで、」と言い、話を続けようとしましたが
私も体調が悪い事を伝え電話を切りました。

T也と私の携帯はソフトバンクだったので、夜の9時以降の電話はT也からは掛かって来ませんでした。

夜、寝ていると夜中にT也から電話が来たので驚いて出ると「眠れない。」「何か話そう」と言うので、「妹が隣で寝ているから話せない」と言うと「話さなくても良いから、切らないでずっとこのままでいて」と言われましたが、私は「眠いから無理」と言って電話を切り、また掛かって来るかも知れないと思い携帯の電源を切りました。

朝、電源を入れるとT也から何件もの着信とメールが来ていました。

T也の仕事が始まり、初めの頃は、私が電話に出られなくても必ず朝と、午前10時・お昼休み・午後3時・午後5時半には、電話が掛かって来ました。
夜は「何を食べていいか分からない」「食欲が無い」「誰も話す人がいない」「会社で友達が出来ない」と言い、「つまらない」「帰りたい」「淋しい」を繰り返していました。
私から被告に連絡をする事はありませんでしたが、それでも家族に隠れて被告と話している事に後ろめたさを感じていました。

その頃、私は体調も悪くなり、思う様に体が動かせず、仕事に大きな支障をきたしてしまっていました。会社の上司からは、「今の状態では体がもたないだろ。完全に体を治してから会社に来るように。」と言われ、病院に検査を受けに行きました。でも内科的には異常が無く、精神的な事が原因だろうと言われてしまいました。薬も一時的な物になってしまうと言われていたので、これ以上周りに迷惑を掛けられないので、私は仕事を辞める事に成りました。
入社してこんなにも早く仕事を辞めてしまった事で、会社は勿論ですが、学校にも迷惑を掛けてしまったので、父と2人で会社と学校にお詫びに行きました。
謝罪している父の姿を見て、自分の弱さが情けないのと、沢山の人に迷惑をかけてしまい申し訳ない気持ちで一杯でした

T也からの電話は疲れるほど沢山来るので、私は携帯電話を持ち歩かないで過ごしたり、電話に出ても体調が悪い事を理由に短い時間で済ませていました。そんな私にT也は「嘘を付いているだろ。俺を避けているのか」と言うので、本当に体調が悪く、仕事を辞め病院に通院している事を話してしまいました。

それから少しすると仕事の時間帯にT也から電話が掛かって来たので「仕事の時間じゃないの?」と聞くと
「具合が悪くて休んだ。食欲が無い・・・。ずっと何も食べていない」
と言い、そして「A子は体、大丈夫か?食べられる時に少しでも食べておけよ。今度、病院にはいつ行く?何もしてあげられなくてごめんな」と私の事を気遣うような事を言っていました。

短い電話でしたがT也も具合が悪いのに私の体を心配してくれている事に暖かい気持ちを感じ、アパートで一人で休んでいるT也が可哀想になりました。

T也からの電話やメールは仕事時間に関係なく来る様になり「何もする気になれない。生きている意味が分からなくなった。A子に会いたい俺が死んだら泣いてくれる?A子は元気に過ごしてね」などと言い、精神的に追い詰められているような話しをしてきました。

私はT也の姿が見えないので、暗く沈んだT也の声や話しを聞くと、
悪い事ばかり想像してしまい、何とかしなければと言う気持ちでした。

T也は「週末も体調が悪く、車を運転できないので帰れない」と言い、転勤してから地元に帰って来ませんでした。

私はT也の事が心配になり電話をすると、出ない時が多く、やっと繋がると、「具合が悪くて寝ていた。」と言い食事も取らず、両親が置いていったと言う飲みものしか摂っていないと話していました。

T也からの電話は夜中に来る時もあり、寝ていても何かあったのかと思い飛び起きて電話に出て、T也が何とか元気に成る様に、ご飯を食べる様に話したり、昼間はカーテンを開けるだけで気分が違う事や、少しでも外に出て気分転換をするように話すと、
「俺の事心配してくれるの?A子と話している時が一番落ち着く。A子が言うなら何か食べてみる」と言うので、T也の好きな物や簡単に食べられる物を送りました。

今、考えると、私はこの時、付き合った時と同じで、T也に同情してしまい、完全にT也のペースに飲まれていました。それと同時に仕事や家族のことを考えると自分を卑下するようになり。自分を対する情けなさ・家族に対する申し訳なさ等から家族と少しずつ距離を置く様になってしまいました。この時、もうT也のペースに飲まれていたのかもしれません。


T也からの電話で「上司が、体の事を心配してくれて俺の実家に連絡をし、その為に週末、両親が迎えに来る事になった」と言う話しを聞きました。
T也の具合は私が考えている以上に悪いのだと思い込んでしまいました。

T也が両親と地元に帰って来る予定の日の夜、T也から電話があり、「両親だけ帰り、自分はアパートに残った」事を聞きました。
その理由は地元に帰れば仕事を首になってしまう事と、T也が家に帰っても家には自分の居場所が無い事を挙げていました。

私はT也の両親は心配していないのかと聞く「会社から言われたから来ただけで、心配なんかしていない。」と言い、気にしなくて良いからと前置きをし、T也の母親は私の事を怒っていると言うので、訳を聞くと、私に食事の世話をしてもらえると思っていたのに、私のせいでT也が病気になったと言っていた事を聞きました。

「T也の病気は私のせい・・・・」
この言葉が重く心にのしかかりました。

両親が来た時、付き添ってもらい、病院に行った事と眠れる様に睡眠薬を貰った事を聞きました。

仕事に行ける様になっても、誰も話す人もいなく、会社で頼んでいるお弁当も一人離れた所で食べ、味もよくわからないと言い
仕事から帰ると夕食も摂らず直ぐ、寝ると言っていました。

被告から「会いたい。会いに来て欲しい」と言われ、私は「行けない」と断ると「会う事もダメなのか?」と責められましたが「それでもいけない」と言うと被告は酷く落ち込み「分かった」と言い電話を切りました。

その日の夜遅く、被告からメールが来ました。

そのメールはこれまでの事に感謝と、「私がいなければ生きて行けない、死んでもずっとA子を見守っている。」と書かれた遺書でした。それを見て私はパニックになってしまい直ぐT也に電話をしました。

何度も何度も電話をしても繋がらず、メールで「お願いだから電話に出て!連絡をくれないならT也の実家に電話するよ。警察に電話するよ」とメールをしながら電話を掛け続けました。

被告から着信があり急いで出て、どこに居るのか聞くと「アパートに居る」と言い、病院から貰った睡眠薬を全部飲もうと思った。と言うので、私は必死に引き止めました。
被告は「もう一人でいる事が耐えられない。生きている意味が無い。自分が死んでも誰も悲しまない。産まれてこなければ良かった。祖父ちゃんの所に行きたい」と泣きながらと言っていました。

私はこれまでT也から祖父の悪口だけは聞いた事が無かったので
T也が祖父を嫌っていない事が分かっていたので、本当に死んでしまうかも知れないと思い、必死で「いろんな人がT也の事を大切に思っているよ?T也が死んだら悲しむ人が沢山いる」と話しました。

T也は「A子も俺も事大切に思ってくれるのか?俺が死んだら悲しんでくれるのか?」と聞いて来たので、私は「当たり前だよ」と言うと、「それなら一緒に住んでくれ。そばにいてくれ。A子がいれば頑張れる」と泣きながら何度も何度も言って来ました。
私はT也を刺激してはいけないと思い何も言えませんでした。
でも、何度も同じ事を言われ「それは出来ない」と言うと、T也は黙ってしまいました。

そして突然T也は「結婚しよう」と言い出しました。
私は驚いて「そんな事、出来る訳が無い」と言うと
「A子のお父さんが結婚したら一緒に住んでいいって言っていた」と言うので
「それは例えで、実際に結婚しなさいと言った訳ではない」という事を話しましたが理解をしてもらえませんでした。

T也は「A子の性的価値観がずれている!A子は親の言いなりになっている!!俺の友達もA子の事変わっていると言っている。教会に行かなくても幸せになっている人は沢山いる。世の中は教会に言っている人よりも行っていない人の方が多い。教会は弱い奴が行く所だ。A子は親の言いなりになって幸せなのか?いつまで言いなりになっている。いい加減目を覚ませ!」と言われ、
私が「親のいいなりになっている」そんな事を考えた事も無かったのでT也の言葉は正直ショックでした。

小さい頃から自分の信じて来た事を否定され、私は弱いから教会に行っているの?私っておかしいの?これまで信じて来た事に不安の気持ちが出初め、色々な事を考える様になってしまいました。

T也は、「一緒に住む事は悪い事では無い。必ず結婚するから、順番は違うだけで、A子が幸せになれば両親もきっと喜んでくれる。
A子の両親が本当にA子の事を考えているならもっとA子を自由にするはずだ。幸せになる事を望んでいるなら、一緒に住む事を反対するのは矛盾している。必ず、俺が幸せにする。」
と言い、順番が違うだけだと言う事を何度も言って来ました。
そして何時間にも同じことを言って来ました。
私は徐々にT也の言っている事に反論が出来なくなって行きました。
それは、T也と一緒に住む、結婚すると言う事では無く、自分の信じてきたものが、本当に自分の意思だったのか?親に教えられて来た事をただ盲目的に信じていたのか?正しいと信じていた事が本当なのか?
今までずっと宝石だと信じ握り絞めていた物が、ある日突然、石ころだと言われ、捨てるように言われているような、そんな気持ちになり、どうすればいいのか分からず、その事ばかり考える様になりました

T也は「お願いだから結婚してくれ。A子が側にいてくれたら何でも出来る。必ず幸せにする」など言っていましたが、私はT也の
言葉に応える事など出来ないので断り続けていました。

T也はからの連絡はありましたが、「また食べられない、眠れない、何もする気にならない。まだA子は親の言う事を聞いてるのか。」
それを聞き続けていく度に私も私の考えが分からなくなっていきました。電話を拒否できなかったのは、拒否すればT也は本当に自殺してしまうと思ったからです。

そして2度目の遺書が書かれたメールが届きました。

そこには、「A子が周りの友達と同じ、普通の考えだったら俺達は幸せになれた。
A子にとって俺の命よりも自分の事が大事な事が分かった。
ずっと家族の中で孤立して一人だった俺がA子と付き合って孤独から向け出したのに、また同じになってしまった。
A子と付き合わなければこんなに苦しまなくて済んだ。
A子が俺の人生を壊した。
A子は遊びだったかもしれないが、俺は本気だった。
死ぬ事でそれを証明する。A子がいなければ俺は生きていけない。さようなら」


私のせいでT也が死ぬ・・・・
私がT也を苦しめている・・・・
どうしてこんな事になってしまうのか?
頭の中はぐちゃぐちゃで何をどうしていのか分からず
ただひたすらT也に電話を掛け続けました。
この時、私のせいでT也が死んでしまったら、自分だけ生きていてはいけないと言う思いでした。
朝まで一睡も出来ず、T也からの連絡を待ち続けました。
朝、T也から電話が入り出るとT也は「死ねなかった」と泣いていました。
私も「お願いだからバカな事考えないで」と泣きながら頼み、

「T也の話し聞くから・・・・」と言ってしまいました


T也は「今、アパートから離れた所に居る」と言いアパートに帰ったら連絡をすると言い電話を切りましたが、私は心配でT也に電話をして話し続け、アパートに着いた事を確認しました。
T也は「疲れたから少し休みたい」「起きたら電話するから」と言い私はT也から電話が来るのを待ちました。


夕方、T也から電話があり、もう絶対に自殺をしない事を約束し、その条件として私はT也と一緒に住む事を承諾しました。


自分の為に人が死ぬと言う事は私には耐えられない事でした。
T也の元に行く事は家族を苦しめる事は分かっていましたが、
それでも、T也を死なせない為に行くしかないと思い込んでいました。

今、考えると、とても幼稚で安易な考えですが、「結婚」と言うけじめを付ければ、時間は掛かっても家族と関係を修復出来ると勘違いしていました。


私は両親に黙って家を出る事は絶対に出来ないので、反対される事も、怒られる事も分かっていましたが、きちんと話しをしなければいけないとい思いましたが、どう話して良いか分からず、夜も眠れなくなり、過去吸が起きてしまい、妹が慌てて両親を呼びに行く事が何度かありました。

両親も私の様子がおかしい事に気づいていたので、とても心配していました。

私は何をどう話しても両親を落胆させ、悲しませる事は分かっていたので、余計な事は話さないで「T也と一緒に住む事にした」と話しました。
両親はとても驚き、「分かるようにキチンと話しなさい」と言われましたが、
私は「色々考えて一緒に住もうと思った。」それしか言えませんでした。
勿論、納得などして貰える訳も無く、両親は色々聞いて来ましたが、私は、家族は大事だけれど、T也と住む事が家族を大事にしていない事にはならない。どこに居ても大事に思う気持ちは変わらない。
と話すと、

父は「一緒に住むと言う事はどう言う事か分かるか?」と言い
性的な事の危険性を話すので、私は、「純潔を破る事が、家族を大切に思っていない事には成らない」と話すと
父は「A子の考えは間違っている。純潔を守るのは家族の為では無く、A子自身の為だ。自分を守るように教えて来たのはA子が幸せになる為で、苦しめる為ではない」と言っていました。
私はいい加減な気持ちでT也と暮らす訳では無い事、順番が違っているだけで、必ず結婚して幸せになって両親を安心させる、絶対に泣きごとも愚痴も言わない、自分の行動に責任を持つと話しましたが、
父は「結婚は親を安心させる為にする物ではない。
一緒に住む事も結婚する事も、T也と関わる事も反対だ。
絶対に許す事など出来ない」と言われました。

父は「T也はお前が思っている様な男ではない」と言い、以前T也が運動部の顧問から一方的に怒られた事に付いて、「学校内の事は詳しく話せないが・・・。」と言い、T也が警察から補導、聴取を受ける様な問題を起こしながら、友人のせいにし、友人は停学になっていたのに、自分には関係ないと嘘を付き、責任逃れをしていた事、しかし、後になってT也が関わっていた事が分かり、T也も停学になった事。
その他にも、T也は自分の保身の為に平気で嘘を付く事があり、正直で無い事や、ずる賢い所があったので、その事で注意を受けていた事。
一方的に怒られると言うのも、T也の嘘だと言う事を聞きました。

私はT也から「濡れ衣を着せられて停学になった事がある。一緒に居た奴らにはめられた」と聞いていた事があり、その時「自分が悪くないならキチンと言うべきだ」と話すと「相手はバンドをやっている友達だから揉めるのが嫌だから我慢するしかない。」と言っていた事を思い出しました。

それでも私は「T也の所に行かなければ絶対に後悔する事に成る。
絶対に心配を掛けないから行かせて欲しい」と頼みました。

父から「娘が不幸になるのを分かっていて許す親がどこにいる」と怒られました。
私も「強制しないで!私にも意思がある。」と反論すると
父は「A子の事が大事だから、どんな事があっても絶対に許可は出来ない。T也の所に行っても良い事など何一つ無いのが分かるから、そんな所へA子をやる訳にはいかない。これを強制だと言うなら、A子が分かるまで何時間でも何日でも理解できるまで話しをするから、いつでも言って来なさい。」と言われました。
絶対に許して貰えない事は分かっていました。
両親の表情や言葉から、自分がどんなに両親を苦しめているかも分かっていました。


私の爆弾発言で家の中は不穏な雰囲気になり、私は自分から部屋にこもるようになり、心配した母は病院へ一緒に付いて来たり、2人だけで食事に行ったり、私の部屋に来て話をするなど、一緒に居る時間を作ろうとしていました。

「幸せになりたいなら自分をもっと磨く必要がある。そうする時に自分に見合った人に出会う事が出来る。A子にはもっともっといろんな事を経験して、視野を広め成長して欲しい。楽しい事を沢山経験して欲しい」と言われ、「もっと自分を大切にしなさい」と言われました。

両親の言う事が正しい事も、私を想ってくれている事も分かっていましたが、「T也の所に行かなければいけない」と言う気持ちは変わりませんでした。
T也の所に行く事はT也を死なせない為でしたが、それと同時に、T也の死を自分の責任として負える勇気が無かったと思います。

数日後の父の誕生日、父の大好きなババロアを母と一緒に作り、皆でお祝いをしましたが、この時の父は淋しそうな表情で、それは私が原因だと分かっていました。
家族から父にプレゼントを渡しましたが、父は家族一人一人に手紙を用意していました。
私はそこに何が書いてあるか分かっていたので、優しさに触れればもっと苦しく成ってしまうので、その手紙を見る事が出来ませんでした。


次の日曜日、家族が教会に出かけた後、私は家族に手紙を残し、迎えに来たT也と一緒に家を出ました。

T也は「お母に話しがあるから、A子を連れて来いと言われた」と言い、そのままT也の家に行きました。

T也から以前、T也の母が「A子の事を怒っている」と聞いていたので会うのがとても怖い気持ちがありました。

茶の間に通されると、T也の両親と祖母と妹が居ました。
T也の母親から「やっと行く気になったの?」と言われ、どう答えていいのか分からないでいると、「これでT也の食事の心配をしなくて済む」と言い、アパートに行ったら直ぐ仕事を探し、自分の食べる分を稼ぐ様に言われました。

T也に家に居た時間は長くはありませんでしたが。私がT也の母親から言われている時、T也と妹はテレビを見ていて、自分には関係の無い態度で、父親と祖母は黙って座っているだけでした。

T也の家を出て途中、一緒に転勤になった2人の友人を乗せ、4人でT也の転勤先に向かいました。

この2人の友人の一人、H尾とこれから深く関わる事になって行く事に成りました。


T也が私に話していた転勤してからの、「淋しい一人暮らし」も
「鬱病」も「自殺未遂」も「家族の中で差別されて育った」ことも全て巧妙に計画された嘘だった事を
私はこの時、まだ知りませんでした。


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